諸戸氏庭園 HOME | 初代諸戸清六について | 庭園の紹介 | 公開情報・内覧会情報 | 交通案内・地図 | 諸戸清六ゆかりの地 | English
庭園の紹介
【施設名称】 ※下記名称クリックで該当箇所へジャンプします。
1.本邸(重文)2.大門(重文)3.玉突場(重文)4.洋館(重文)5.御殿玄関(重文)6.推敲亭
7.煉瓦蔵8.藤茶屋9.菖蒲池10.神祠周辺11.御殿広間(重文)

1.本邸(主屋)〈重要文化財〉:明治22年完成
寄棟造 本瓦葺、 一部桟瓦及び銅板葺


主屋は初代諸戸清六が自らの居宅兼事務所として建設したものである。 土蔵造二階建の邸宅は、一階部分の太い竪格子や、巨大な棟と鬼瓦に黒漆喰の土蔵造で、初代清六のこだわりを感じることができる。主屋は初代諸戸清六が自らの居宅兼事務所として建設したものである。
東西に伸びる通り庭を境界に、南側は業務空間とし、欅の太い部材で占められた重厚な空間、北側は生活空間とし、細い桧部材で占められた軽快な数寄屋風書院造りになっており、全く異なる空間になっている。
清六は、玄関外の脇に三尺ほどの縁台を置き、せんべい座布団に座っているのが常だった。自室には東海道線の時刻表を飾り、いつでも出かけられる支度がなされていたという。

2.大門(表門)〈重要文化財〉:明治37年頃
一間一戸薬医門


表門は御殿建築の折に造られた。薬医門形式で、太い角柱上から腕木を二段に持ち出して出桁を受け、西面の出桁位置に控柱が立つ。礎石から作り出した軸摺とまぐさ側面に取り付けた藁座によって両開きの板扉を受ける。門の中心がやや前方に偏っているのが特徴である。屋根にはやや強い起りが付けられている。修理前の屋根は東面が主屋同様無紋の細い丸瓦葺で、西面は巴と唐草紋の入った太い本瓦葺であったが,当初は東面と同じく主屋と同じ細い無紋の本瓦葺であったことが判明し、それに復原した

3.玉突場〈重要文化財〉:大正末頃
木造、下見板張、人工スレート葺


木部の塗装は昭和初期には薄黄色と濃黄色で塗り分けられていた。今回の修理で当初の色に復原した。当初は2台のビリヤード台が設置されていて、その振動を抑えるための基礎が床下まで伸びている点が特徴的である。
他の棟から独立して建つビリヤード専用建物は、現在確認できる限り岩崎邸撞球室(1894)と諸戸家の玉突場しか残存しない。

4.洋館〈重要文化財〉:明治30年頃完成
木造 下見板張 桟瓦葺


木部の塗装は昭和初期には薄黄色と濃黄色で塗り分けられていた。屋根には暖炉の煙突がレンガをそのまま見せて突出している。この煙突は松の梁を避けるために途中で半枚分ずらして積上げる。
煙道は常滑焼の土管で、途中で90度ひねった上、180度逆にひねるという特殊な構造となっていた。当初の地盤補強として柱下に石積みがみられその他の柱筋にも小石が敷き詰められていて、軟弱な地盤を補強していた。
洋館便所は当初の計画変更で追加されたために洋館本体の基礎と別構造で、大便所下の汲取り室だけが地面に接している。外装内装は洋風建築だが、小屋組は和小屋で、隅行方向のみ洋小屋に近い合掌がとりつく。間柱は正式が角柱であるところを丸太柱が使われるなど、洋風建築の過渡期の姿を見せる。

5.御殿玄関、車廻し〈重要文化財〉:明治28年完成
木造、桟瓦葺、一部銅板葺


御殿への玄関となる建物である。正面に構える車寄せをはじめ、数棟で構成される。当初の計画変更が特に多い建物で、改変の跡が各所に見られる。接客とサービスを分けた二筋の廊下、寄木細工の床やシャンデリアなど、当時の要人等の来客を非常に意識したしつらえとなっている。
様々な政・財界人を招き接客をした歴史の舞台でもあり、記録に残るだけでも、大隈重信 、益田孝 、山縣有朋 、高橋箒庵 、野崎広太 が訪れた。
広間は初代諸戸清六が大隈重信等を招いて宴会をするなど、明治期には特別な客を接待するのに使用していた。

6.推敲亭〈県指定文化財〉:江戸時代
木造平屋建 寄棟造茅葺


庭園内に設けられた三畳の草庵で、山田彦左衛門邸時代からの遺構である。『久波奈名所図会』 (享和2年1802)の「山田氏林泉図」には、杜若之池に面して開口の大きな推敵亭が描かれている。
当時から位置は変化していないものと思われ、傾斜地の石組に載せかけるように建てられている。西面の南端に半間の出床を設ける以外は内法下を全て開放し、障子を巡らしている。皮付の柱や、屈曲した縁束などが使われており、野趣溢れた建物となっている。

7.煉瓦蔵〈県指定文化財〉:明治28年頃
煉瓦造一部二階建、切妻造桟瓦葺


当初の蔵は主屋が新築された明治20年頃に五棟連続の木造土蔵が建てられたが、明治28年3月に焼失した 。その後、煉瓦造で再建されたが、昭和20年の戦災で西側の二棟が失われ、現在では三棟だけが残る。
この蔵は米蔵として建造されたもので、船で運ばれた各地の小作米を蔵前面の堀から搬入したといわれる。内部は板床で、壁は煉瓦のままで仕上とし、キングポストトラスと呼ばれる洋式小屋組も露出している。

8.藤茶屋:昭和43年
木造平屋建 切妻造桟瓦葺


『久波奈名所図会』(享和2年1802)に「藤茶屋」とあり、山田彦左衛門邸時代から存続した建物だったが、昭和20年に戦災により焼失した。現在の建物はその基礎の上に記憶を頼りに元の建物に似せて昭和43年に再建されたものである。
西に開いた台形平面で、柱は丸太、土間にはやや曲がった柱が立つ。南に行くほど柱間が広くなり、藤棚に対し開放的な空間とするため不規則な配置となる。数寄屋の技法や銘木が各所にみられる建物である。

9.菖蒲池

菖蒲池を中心とした回遊式庭園は、本庭園の中でも歴史的に最も古い部分である。菖蒲池を中心に、西に推敲亭、東に藤茶屋、北に蘇鉄山と稲荷祠がみえる。

春にはつつじ・藤・菖蒲などの花々、秋にはどうだんつつじ・もみじの紅葉など、四季折々の美しさを楽しむことができる。

10.神祠〈市指定文化財〉

神祠は山田彦左衛門が屋敷を創建した江戸時代からの神祠として伝えられ、『久波奈名所図会』(享和2年1802)にも「稲荷」とある。

この下の穴には白い狐が住んでいたという。明治の初め頃、初代諸戸清六が山に迷ったときに白狐に道案内をされて人里にたどり着いた。これは伏見稲荷に仕える狐の御使だと知り、旧宅内に小さい稲荷の祠を建てた。その後、現屋敷地に移住する際に合祀し、明治31年頃に建て替えたのが現在の神祠である。

11.御殿広間と池庭
広間〈重要文化財〉:明治24年上棟
木造桟瓦及び銅瓦葺


当初の地盤改良として田沼の上に盛土を施すとともに柱筋に石垣を地下2m程下から積上げた。そのため庭園と比べてかなり床が高くなっている点が特徴的である。

東西面はほぼ全てが開口部となっており、柱を極力少なくしている。景色を一体的によく見せる開放的な空間を意図したとみられ、初代清六のこだわりを感じさせる。
池庭は出羽の本間邸や近江八景を模したと伝えられている。
公益財団法人諸戸財団 〒511-0005 三重県桑名市太一丸18番地 TEL.0594-25-1004
Copyright © 2004 Moroto faundation. All Rights Reserved.